おさらい・・・「生活単元学習」の時代の「掛け算」 学習指導要領 昭和26年改訂版を読んだ

ネットサーフィンをしていて、以下の資料をみつけました。
NICER教育情報ナショナルセンターのHPに掲載されているようです。

「小学校学習指導要領 算数科編(試案) 昭和26年(1951)改訂版
↓文部省
http://www.nicer.go.jp/guideline/old/s26em/chap4-1.htm
以下に、掛け算の順序について、興味深い記述がありましたので、引用します。

Ⅳ.算数についての学習指導法
第1部 一般的な事がら
7.有効な反復練習

(中略)
(3)計算などについて,理解をもたせる
「一冊5円のノートを,6冊買ったら,いくら支払えばよいでしょう。」という問題を解くときには,「5円×6」として,その結果を求めるのが普通である。ところが,この問題を,「ノートを6冊買いました。どれも1冊5円でした。ぜんぶでいくら支払ったらよいでしょう。」とすると,「6×5=30(円)」として毛かを求めるこどもがでてくるであろう。
 こどもが,このような誤った解決をするのは,かけ算の意味をひととおり理解しているにしても,その理解が形式的になっていることを示しているといえる。
 問題が,どんな形式でだされようとも また,いくつかの条件がどんな順序で書いてあろうとも,かけ算を式で示すとすれば,
(グループの大きさ)×(グループの個数)=(量全体の大きさ)

であることが,こどもにじゅうぶん理解されておらなければならない。この一般化がふじゅうぶんなために,6×5=30(円)というような式を書くのである。
 とにかく,形式的な練習に移るにさきだって,技能などについての理解をじゅうぶんに伸ばすことを忘れたのでは,反復練習したものを有効に用いることができないであろう。
(後略 以上、引用終わり)

 昭和26年といえば、その時代に小学生だった人が今の小学生の祖父母であってもよいくらいの時代です。学習指導要領は指導のてびき、というような位置づけで、昭和33年までは(試案)とついているものだったそうです。
 当時は「生活単元学習」と呼ばれる児童中心主義、経験主義のカリキュラムでした。大日本図書による当時の教科書もネットにありました。
教科書いまむかし 生活単元学習時代(小学校) -大日本図書-

 さて、この学習指導要領ですが、掛け算の導入が「何の何倍」(同数累加がベース)とになっているため、現在の(1つ分の大きさ)×(いくつ分)とは違うはず・・というか、この時代から続いていた指導方法に遠山啓が反論する中から生み出されたのが水道方式だったはず、なのですが、この指導要領算数科(試案)に書かれている内容そのものは、何度か紹介されている東京書籍の教師用指導書とほぼ同じだと思います。
 つまり、
(1)文章題から立式するときに「掛け算の意味を適切に記述する正しい順番の掛け算の式」がある
(2)それをこどもが理解しているかどうかを確認するために、問題文に登場させる数字を逆順にした問題を提示してチェックする。
(3)逆順での立式は誤り、それをする子どもは理解が形式的、一般化がふじゅうぶん、とみなす。
(4)理解をじゅうぶんに伸ばすことが大切。

という共通点があります。

おもしろいことにこの学習指導要領では「Ⅴ.算数についての評価」の部分にも、上記と同じような確認テストが例として出てきます。

Ⅴ.算数についての評価
1.評価のねらい
(1)指導計画や指導法を修正したり改善したりする必要を明らかにする
(中略)
 次に,評価が,指導計画を修正する必要を明らかにするのに,どのように役立つものであるかを,実例によって述べてみよう。
 三年の乗法九々の学習で,三の段がひととおりすんで,こどもたちは三の段の九々がすらすら唱えられるようになった。そこで,教師は次のようなテストを行って、こどもがかけ算の意味を理解して,九々を適用する力が伸びたかどうかを調べてみた。
問題 3人のこどもに,えんぴつを2本ずつあげようと思います。えんぴつがなん本いるでしょう。どんな九々をつかえばわかりますか。
 どんな九々をつかうかという問に対して,3×2=6と答えたものが予想以上に多いことがわかった。これによってこどもは問題に出てくる数を,その数の意味を深く考えもしないで,出てくる順に書き並べ,その間にかけ算記号を書き入れることがわかった。問題に出てくる数を頭の中にいったん収めて,演算の決定に導くように問題の場を組織だてる力が欠けているらしいことがわかった。そこで,その欠けていることについての再指導に入るわけである。
 3は人数を表している数である。それを2倍した答えの6は何といったらよいか尋ねてみる。それで,6人となって問題の要求に会わないことを説明する。このようにして3×2=6とするのが誤であることを明らかにしたとする。
 しかし,上のような指導だけでは,問題をすこし変えてテストしてみると,ほとんど進歩しないことがはっきりわかってきた。つまり,一方を否定するような消極的な指導だけでは,前に述べたような問題を組織だてる力を伸ばすのに,ほとんど役立たないことがわかった。これが再指導に対しての評価であって,指導の方法を修正する必要をつかんだわけである。そこで,問題解決を,同数累加の形にもどして,倍の概念をしっかり押さえるように指導したのである。今度は成功した。この事実を教師が見届けたのもやはり評価である。

(後略)

 ここの「評価」、「子どもの理解の評価」だけでなく、「教師の指導方法の振り返り」という意味での評価も含んでいて、この後の個別指導に関する評価の部分もなかなか面白いです。この昭和26年改訂版の学習指導要領は、「生活単元学習」を核としつつ、22年から始まった「新しい指導方法」の困難な部分をどうしたら克服できるのかという模索を形にしているようです。具体的な学年ごとの内容のリストアップや指導方法を出す前に、「生活」との関係の中で算数を子どもに役立つものにするにはどうしたらよいかと説き、学習指導法の記述でもまず個々の子どもを個人としてとらえ、個人の尊厳と個人差を重視し、子どもたちが「自学自習」して「必要に応じて(知識・技能を)(生活の中で)使うことができる」指導方法を工夫することが大切であると書いています。個々の子どもへのアプローチの方法は「診断的指導」と名づけられていて、医学モデルが背景にありそうな印象も受けます。*1

 それにしても、「指導方法」においても「評価」においても例として「掛け算の順序」が取り上げられているということが大変興味深いです。なぜだろうと考えてみました。
 仮説として私が思いつくものは、
(1)「掛け算」の指導でつまずく子どもが多いために、難しい指導であるということが経験的にわかっていたから。
(2)「掛け算」の持つ意味が非常に多岐にわたるために難しい指導であるから。
(3)生活場面で掛け算(そしてその延長戦上にある割り算)という演算を使う場面が多く非常に重要であるから。
・・・というか、今のネット上の議論をみても、全国的な学力調査の結果から見ても、実際のところは、この3つが一体化しているから指導や到達度の評価が難しいということのように思います。
 とにかく、「順序」だけでなく、「掛け算」はこの学習指導要領の昭和26年改訂版では、非常に重要な役割をもっていて、まだまだこの「評価」の部分に、掛け算の文章題を使った説明が続くのです。「1.評価のねらい」の(2)では「教材や教具の選択や活用のしかたが適切であるかどうかを明らかにして,これらがいっそううまく使えるようにする」というもので、足し算の繰り上がりと割り箸の束を例にしていますが、(3)の「こどもが,自分の進歩や停滞の様子を知り、みずから進んで学習していくようにする」という項目で、ここでふたたび掛け算の文章題が登場します。長くなるので引用はしませんけど、1個12円のリンゴを5個買ったときの全体の値段を計算するという繰り上がりのある掛け算に初めてとりくむというの問題でした。
 いくつかの異なる計算方法(累加の足し算、繰り上がりのない掛け算と足し算の組み合わせ、掛け算…ここでは順序の問題はとりあげていませんけど)が子どもから提案され、それぞれのどれがよいか、それはなぜかを話し合うことで考えさせる、という事例でした。
 12×5=60を支持した子どもには、割り箸(おはじきやタイルと同様、具体物の操作、という意味でしょう)をつかって、この計算の方法を工夫して説明できるように指導する、同時に、ほかの計算方法がよいと言った子ども(足し算の方がわかりやすいなどでしょう)には、リンゴ1個の値段を6円まで下げて5個の値段を計算させ、だんだんリンゴ1個の値段を上げて12円でも計算ができることを気づかせる指導をした、という事例になっています。

 こどもが与えられた問題を一応解決したところで,三つの方法があったことを紹介し,どれがよいかを判断させたことは,この問題解決に当って自分の試みた方法を自己評価させ,自分がどこまで進歩しているかを自覚させるためであった。どの方法がすくれているかについて考えさせたのは,その方法のよさがたしかにわかっているかどうかを自覚させるためであった。第三の方法*2によって計算することを,めいめいに工夫するようにしたのは,この新しい計算を自力で解決していけるというめやすを,こどもにもたせるためであった。
 難色を示したこどもには,かけ算の適用の初歩にもどって指導した。同数累加の事実に対して,かけ算が適用できるところまでわかっておれば,演算決定についての立ち遅れを取り戻すのは,さして困難でないことを,子どもも気づいたことであろう。つまり子どもは,自分が確かに進歩したことを,きのうの自分と比べて見出すであろう。
 こどもが自分の進歩を自覚し,また,進歩の遅れていることを知って,どうすれば工場できるかということを求め続ける態度を養うことが,評価の重要な一つの面であると云えるのである。

 このまとめの後、到達度の「評価」はマル、バツをつける筆記テストだけで行うものではない、という文章が続きます。なぜならば、たとえば掛け算の九々を形式的に暗記していても、実際の生活で掛け算を使って、「問題解決をすること」ができないであろうから、と。

 かけ算は,買物をする場合でも,測定の場合でも,計画的にものごとを順序立てて進める場合でも,これを適用されるようになっていなくてはならない。このように,生活の場が複雑になっても,じゅうぶんに使いこなせるようになっていなければならない。これで,算数が学校内外の社会生活において,かけ算を有効に用いられるようになったといえるのである。

 社会生活で有効に使えるようになる、ためには、複雑な状況の中でもかけ算を使えるようになること、そのために意味の理解が大切、そしてその意味は、より効率のよい同数累加の計算で同数累加の計算だから「かける数」は「かけられる数」を何回加えたかを示すもの、という理解が重要。ということのようです。
 昭和26年時点でかけ算の順序を「被乗数×乗数」で固定することを強調している*3のは、あくまでも実生活での「問題解決」により「効率よく」かけ算を利用できるようにするため、ということになります。

 昭和22年にできた学習指導要領は、新しい時代の教育のあり方として、児童の生活と主体的な活動を中心にすえてカリキュラムを組むことをうたい、各教科のカリキュラムの骨組みというか、子どもの発達に合わせて各学年で教えるべきことのリストと、その指導法の概論(26年改訂版よりもずっとあっさりしてます)が書かれたものでした。理念は「ゆとり教育」に似ています。
 この学習指導要領の基本には、GHQ占領下でアメリカ主導の教育改革の柱として取り入れられた「生活単元学習」・・・デューイの問題解決学習を理論的背景に持つ児童の生活を核にその問題解決を図ることで学習を進める、という考え方があります。占領下の教育政策とはいえ、民主主義の社会における教育の柱として現場でも歓迎されていたといいます。当初は。
 けれども、このカリキュラム下での学力低下が批判されるようになり、昭和26年には「学力低下」を裏付ける学力調査の結果(国立教育研究所の久保舜一による調査まとめ。昭和3年、4年と同じ問題で学力調査を行い、おおよそ2年ほどの遅れがあったという結果らしい)が発表されたりもして、より「系統的に学習をすすめるための指導方法」が各教科で模索されるようになりました。昭和26年は講和条約が調印され占領統治が終了した時ですが、算数に限らず、「生活単元学習」への批判が高まるのがこの時期です。
 数教協の設立もこの時期・・・結成が昭和27年・・・で、「生活単元学習」への批判を積極的にはじめます。けれども、同時に文部省もまた学力向上を模索しており、その結果が昭和26年改訂版ということになるでしょう。

12月20日、修正と加筆

 いま、学習指導要領の変遷も調べています。というか、それぞれの学習指導要領を読んでいるところです。それぞれの改訂版で、学習指導要領の書き方が変わっています。昭和33年に「告示」として(試案)が取れた「学習指導要領」が出されています。これは、それまでの「生活単元学習」批判から生まれてきた「系統学習」の考え方で書かれているものですが、26年(試案)改訂版のような詳細な具体事例での説明はされておらず、各教科の「解説」としての「指導書」が刊行されているようです。そして、昭和36年、38年には「小学校算数指導資料」のⅠとⅡが刊行されています。*4
 この「指導資料」(←文部省刊行なので、現在の「教師用指導書」とは違いますよね)の中にも、かけ算の理解をはかり指導を行う例としてかけ算の順序がとりあげられているようです。
参考:アメブロのメタメタさんによるエントリ 2010年2月17日
かけ算の式の順序についての調査結果(2の2) | メタメタの日

 太平洋戦争敗戦以前の掛け算の指導も気になって、あちこちのサイトを見ていました。
 検索でヒットしたなかに、いくつか学生さんのレポートがあって、わりとよくまとまっているなぁと関心したりしました。中にはレポート制作代行の販売見本なんかもあったりして、「算数教育史」は教員養成(おそらくは数学?)の重要な科目なんだろうなぁと思ったりしました。なかなかよく調べてまとめてあるなぁと思ったものを以下にご紹介します。
http://www.ge.ce.nihon-u.ac.jp/~ksuzuki/mathed/2hansiryo.doc
↑ドキュメントファイルなのでリンクははずしました。


とりあえず、今日はここまで。
おさらいはまだまだ続きます。
勉強しながらなのでぽつぽつ書いていきますね。

*1:実際、この「評価」のしくみやプロセス、考え方は、現在、私の本業である精神科リハビリテーションの個別評価ととてもよく似ていると思います。プロテクルスの寝台ではなくて、個人に指導を合わせるための評価、という意味で。

*2:12×5=60,繰り上がりの計算がある掛け算

*3:ように見えます

*4:指導方法の理念そのものが大きく変わったために、説明するべき内容が多くなったということかもしれないし、学校への期待値や要求が大きくなったということかもしれません