心不全と震災後の疫学研究について調べたこと

森光子さんが「肺炎による心不全」でご逝去なさったというニュースがありました。ご冥福をお祈り申し上げます。
もう11月も半ば、都下の我が家でも夜は暖房を使い始めました。さらに北の地方ではもっと寒いことでしょう。寒さが厳しくなってくれば、心疾患を持つ方への負担や感染症も増えてくるでしょうし、ご年配の方、持病を持っておられる方、みなさまどうぞお大事になさってください。

 以前だったら「ここで終わり」なのですが、東日本大震災福島第一原発事故の後のこの1年8か月というもの、「放射線被ばくと心疾患」との関係が注目されてきましたから、例えば、この先「『心不全』による死亡が続けて報道される」ことがあれば、「低線量被曝の健康被害・・?」という心配も増えてくるのではないかと考えました。

 実際、つい最近も東北大学循環器内科の下川宏明先生他の
 「The Great East Japan Earthquake Disaster and cardiovascular diseases」Tatsuo Aoki, Yoshihiro Fukumoto, Satoshi Yasuda, Yasuhiko Sakata, Kenta Ito, Jun Takahashi, Satoshi Miyata, Ichiro Tsuji, and Hiroaki Shimokawa【European Heart Journal Advance Access published August 28, 2012】
URL→http://www.medpagetoday.com/upload/2012/8/28/Eur%20Heart%20J-2012-Aoki-eurheartj-ehs288.pdf*1
東日本大震災と心疾患」についてのご研究を紹介している日経メディカルの記事をめぐって、ツイッター上で議論があったのをきっかけに、いろいろと調べてみました。上に紹介されている論文も読んでみました。*2
 きっかけになった日経メディカルの記事は2012年3月20日の記事http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/gakkai/jcs2012/201203/524102.html
 この記事のリード部分、「特に心不全の増加は、過去の大震災疫学調査では報告例がなく、東日本大震災の特徴の1つであることも浮かび上がった。」をめぐってのやりとりがあったのでした。また、この日経メディカルの記事をめぐって「被曝」との関係を危惧しているブログやツイッターをいくつか見つけました。 

 調べてみて、私なりに「わかったこと」は以下の3点です。調べた資料集はまた別記事でUPしようと思っています。

(1)「心不全」という「医学用語」の意味
 これが混乱の原因の一つでした。「心不全」という言葉そのものは「心臓の機能が低下した状態」で、例えば「死因」としては「心臓が止まった状態」ということになるので、死亡診断書に「心不全」とだけ書くことは推奨されないそうです。例えば、森光子さんの訃報が「肺炎による心不全」となっているのは、「最終的に心臓がとまってお亡くなりになったが、その原因となった病気は肺炎」という意味。
 心筋梗塞や重症不整脈など、すべての心臓病の末期の状態は「心不全」になるので、「心不全が増えた話があるかどうか」の応答に「心筋梗塞が増えたという報告はある」という話がでてきて話が混乱した、という面があります。
 でも、一方で「病名」として取り扱われている「心不全」もある。「心不全患者」とかそういう表現だとこちらは「心不全の状態が持続している慢性心不全」のことのようです。本格的な高齢社会の到来、生活習慣の欧米化とメタボリックシンドローム*3心筋梗塞などの治療が進歩して命をとりとめた方が増えていること、など複数の原因で「慢性心不全患者」と「その予備軍」が増えてきているのだそうです。この大きな流れは震災前からだそうです。
(2)これまでの「大災害後の疫学調査」で広域でかつ震災前後の中長期にわたる「心不全発生数の変化」を調べた調査は無かったということ
 前掲の論文「The Great East Japan Earthquake Disaster and cardiovascular diseases」の冒頭、Introductionに、過去の大震災の概要とそれぞれの震災で増加した心疾患の研究結果の比較が表にまとめられています。2ページ目の「Table1」です。
 この表だけを見ていると、「東日本大震災以前の震災では『心不全の増加』はなかった」という誤解をする場合があります。
 でも、実際の内容は、「個別の心疾患の増加についての研究はあったが心疾患全体について、震災前後での発症率の変化を広域でかつ中長期をターゲットにして調査実施し、実証した研究はなかった」ということだと読めました。
 論文の参考文献References(8ページ)の4〜9までを検索で探してみました。また、日本語の関係文献も検索で探してみました。阪神淡路大震災の調査で広域のものは4の文献で、「1994年の1月〜96年の12月まで16の自治体の「死亡診断書」で調査をし、急性心筋梗塞による死亡率の変化を調査した」とありましたし、他の研究で概要まで読めたものは個別の病院や限られた地域での救急搬送や入院患者の調査で、対象を「急性冠症候群(急性心筋梗塞、不安定性狭心症等)」「脳卒中」「たこつぼ心筋症」などの疾患を調査していたりします。中越地震の時の新潟大学の研究で「厚労省の死亡率統計」で広域を調査したものも見つけましたが、規模、期間、方法が違うので先行研究との比較で「東日本大震災後にのみ心不全の増加』が見られた」ということが書かれているのではないのがわかりました。
 「死亡診断書」の「死因」の調査や「死亡率統計」では、「慢性心不全」の発生状況の変化を調べることはできないと思います。理由は(1)で書いたように、死亡診断書や統計での「心不全」の位置づけに加え、命をとりとめた方々、合併症としての「慢性心不全」を発症した方々の数が反映できないからです。

(3)それでも東日本大震災後に「心不全の増加」が顕著であった、という事実はある。ただし、「低線量被曝」と関連づける前に、震災そのものの被災状況と東北地方の地域特性を考える必要がある、ということ。
 東北大学の循環器内科のサイトには、広報誌「HEART」が掲載されています。
 http://www.cardio.med.tohoku.ac.jp/class/heart/index.html
 この「HEART」21号(2011年4月8日)に、震災後まだ余震も続き復旧もままならない中で書かれている下川先生の文章である「東日本大震災からの復興」が掲載されています。震災後の東北大学病院の状況やこの研究を開始することについての文章で、研究開始にあたって、下川先生他東北大学の循環器内科のチームのみなさんがどのような考え方をしていたのかがよくわかりますので、以下、一部引用でご紹介します。

 循環器疾患に関しては、やはり、心血管病とストレスとの深い関連を実感しております。
 今回の大震災で最も増加した心疾患が心不全でした。しかも、その原因が経過とともに変化していきました。大震災発生当初は、油の混じった海水を誤嚥したことによる肺炎やそれに続発する心不全、薬剤(特に降圧薬)が不足したことによる高血圧性心不全が認められました。亜急性期には、劣悪な避難所の環境や塩分の多い保存食の摂り過ぎによる心不全が増え、慢性期の現在は、精神的ストレスを背景にしたストレスが認められています。次に増加した疾患が肺塞栓症で、これはある程度予想されていました。予想外だったのは、感染性心内膜炎の増加でした。口腔内の清潔が保たれなかったことが原因と思われます。急性冠症候群が少ないことも予想外でした。これらの当科の取り組みは、NHK テレビで全国に紹介されました。
 また、今回の大震災で行われた災害救急活動を詳細に記録し、後世に残すことは我々の務めであると思います。我々は、宮城県医師会との共同研究として、宮城県下で実施された災害救急活動の詳細を調査研究することにしました。大変有難いことに、県下12 の広域消防本部全てから協力の回答が得られ、既に、基礎データの調査を開始しました。

 
 この文章以外にも、この「HEART」21号には、「震災ストレスと心血管病」「東日本大震災における東北大学病院および当科の対応」など、震災と心疾患との関係を考えていくうえで参考になる文章が掲載されているので、ごらんいただくとよいと思います。
 また、21号以降の「HEART」には研究の取組についての経過報告が掲載されています。 



 
 
 

*1:PDFなのでリンクははずしました。

*2:英語力に難ありの私は、ネットの機械翻訳にお世話になりながら、機械翻訳と英文を読み比べ、英単語を辞書で確認、専門用語らしいものは検索して確認、という作業をしました。機械翻訳でも専門用語の部分を除くと文法的にはそんなに変な日本語になってないのである程度わかります。英語が苦手でも興味のある方にはお勧めします。

*3:蛇足ですが、これ他人事じゃないわ〜〜!