「ネタ」です。「5×3≠3×5問題」について、某ネコ型ロボットと仲間たちの「二次創作」をしてみました

 ふと思いついてしまったので書いておきます。21世紀の現在、親子二代にわたって親しんできたあの某ネコ型ロボットとメガネ少年の漫画に、「5×3≠3×5問題」が出てきたらどうなるか…よたよたあひるの脳内劇場・・・おやつに食べるには一人3個のりんごは多すぎるので、みかんに変更。皿は不要なので子ども(+ロボット)5人に変更*1

D:「ボクたちみんなにみかんが3個ずつあるってママが言ってたよ。Nくん、もってきてよ」
Nくんがみかんをたくさんもって帰ってくる。
D:「ちゃんと全員分持ってきた?」
N:「もっちろん!5人に3個ずつ、5×3で15個!」
S夫がニヤニヤ笑い出し、Gに耳打ち。
G:「おい、よこせよ。おれがくばってやるから」
N:「え〜・・・」
でも、NくんはGには逆らえないからね。みかんを全部渡した。
G:「まず、おれに5個、S夫に5個、Sちゃんに5個、以上!NとDには無し!」
N:「ひどいやひどいや。みんなに3個ずつのはずじゃないか。」
S夫:「N、おまえ、さっき『5×3』って言ってたじゃないか。かけ算の式は、『(一つ分の大きさ)×(いくつ分)=(全部の数)』なんだぜ。2年生のときにならったじゃないか。だから、5×3だと『5個ずつ3人分』てことになるんだよ。自分がそう言ったんだから、Gが正しい。」
N:「そんなぁ〜〜。ボクは5人に3個ずつって言ったのに。」
G:「そのあと『5×3』て言ったじゃないか。おれの勝ち!」
S夫:「かけ算の基本がわかってないって悲しいよね。ボクなんか小学校に入る前から家庭教師がついていたから・・・(以下、自慢話は略)」
N:「D〜〜、なんとかして〜〜」
D:「Nくんの計算だって、間違いじゃないよ。5人に1個ずつ配った場合を1単位にして、その3倍、単位つきで式を書いたら5人×3個/人=15個ってことになるんだから。」
N:「そうだそうだ〜」
G:「Dはコンピューター付きのロボットだからそんなこと言うんだ。Nがわかっているわけないだろ!」
S夫:「Nのくせに生意気だぞ!」
N:「ボクだって絵に描いたらわかるんだ!かけ算だってできるんだぞ。ひどいやひどいや。」
・・・・このあたりでNくんは半泣き状態。
Sちゃん:「GさんもS夫さんも言いすぎよ。今は算数の時間じゃないし、ちゃんと5人に3個ずつって言っていたじゃない。いくらNさんの算数のテストがいつも0点でかけ算がわかっていないからっていっても、それでみかんを取り上げるのはおかしいわよ。」
N:「Sちゃんまで・・・ボクだってわかってるんだよ〜〜。5人に1個ずつなら5個、2個ずつなら10個、3個ずつなら15個じゃないか〜〜(泣)」
Sちゃん:「ほらほら、もう泣かないで。みんなで3個ずつおみかんをいただきましょう。ね。かけ算の復習はあとで。丁寧に教えてあげるから大丈夫よ。」


 これからは算数にも道徳的視点を入れていくそうだからこんな感じかしらん。もちろん、GとS夫はわざと意地悪を言っているのだけど、「学校で習った公式」をもとにしているからNくんはどうもうまく反論できない。実は、Nくんの計算も「かけ算」としては間違ってない。式も間違ってない。ネコ型ロボットのDはNくんの弱点である「言葉で説明できていない部分」をわかっていて代理で説明しようとするけど、やっぱりその方法は多数派じゃないし、Nくんの算数がいつもダメだからという理由で認めてもらえない。*2
味方になっているみたいにみえるSちゃんもNくんを理解しているわけじゃない、ってところ。*3


 実は、某小さくなった高校生探偵と、少年探偵団の5人組でも場面を考えてみた。「5×3」と言うのはA美ちゃんで、公式を説明するのはM彦くんあたり。でも、メガネのKくんと茶髪のHさんの台詞が難しくなって私には書けないだろうとあきらめた。きっと違う展開ができるはずなんだけどな。もっとはてなっぽくなりそうなんだけど・・・

 ネタ話はこれでおしまい。




 追記:2010年12月7日

 コメント欄でのtakehikomさんとのやりとりの中で、あひる脳内ドラマのキャラクター設定を書きました。こちらにも一部修正のうえ書いておきます。


・Nは5×3を作図して思いつく子です。「題意による正答」ではなく別解にたどりついてしまうのはおそらく彼の思考の癖です。
・S夫は別解の存在も知っていてわざと意地悪を言っています。
・GはS夫の言うことに同調してそれを利用していますが、G本人が「理解している」かどうかは別の問題です。
・Sちゃんは、「題意による正答」をすんなり理解し、素直に「3個ずつを5人」ならば「3個セット×5」で「3×5」、「5×3」ならば「5人×3」になってしまう、と立式の違いを認識している子です。
・Dは当然数学的に考えています。そして、Nの考え方の説明がつたないのも理解してます。でも、Nの算数の成績を改善することはできないでいます。で、強く言えない。

 なお、このキャラクター設定の文中で使っている、「別解」「題意による正答」という言葉は、takehikomさんのエントリ
「×」から学んだこと - わさっきhb
から拝借しています。

 長いエントリなので、以下に該当部分を引用します。

児童への指導の仕方は専門外なので,かわりに,主要な求め方をいくつか書きます.

《題意による正答》(最小コストで正解にたどり着く方法):問題文から,「1つ分の大きさ」が(1皿あたり)3個,「いくつ分」が5枚であるのを読み取り,「しき」に「3×5=15」と書く.

《題意による誤答》:問題文から,かけ算で計算できる問題だと認識し,問題文に現れる数字のうち5と3を順に取り出して,「しき」に「5×3=15」と書く.

《別解》:問題文から,各皿に1個ずつ,順にりんごを配ることをイメージし,「1つ分の大きさ」が(1回で配る)5個,「いくつ分」が3回であると解釈して,「しき」に「5×3=15」と書く.

《吟味を経た正答》:《題意による正答》で得られる「3×5」,《別解》で得られる「5×3」を比較し,《別解》の書き方だと《題意による誤答》と誤解される可能性を考慮して《題意による正答》を採用し,「しき」に「3×5=15」と書く.

 いろいろ考えさせていただいたので、ここのブログをごらんになる方にもぜひ、全文ごらんいただけたらと思います。
 《吟味を経た正答》という考え方はなかなかいいな、と思いました。
 ただ、それでも《別解》を《題意による誤答》との区別がつかない、という理由でバツにするのには納得がいかないです。ごめんなさいね。takehikomさん。

*1:これは、多数派の考え方とN君の考え方が違っている上に、N君の言葉で説明する力が不足しているためにN君の考え方をみなにわかってもらえない、ということの寓話的表現で、別に、5×3をバツにする先生がG君と同様に横暴である、という表現ではありません。また、5×3をバツにすることがいじめを誘発する、という表現でもありません。念のため。

*2:別解を思いつくのは、「頭のよすぎる子どもたち」「勉強ができる子どもたち」ばかりじゃないと思ってます。

*3:少数派として実際に辛いことの一つに、考え方をわかってもらえないまま、優しくされたり丁寧に説明されたりすることはあるんじゃないかと。いやお気持ちはありがたいけど本筋はそこじゃないんだよ、という。