「男は獣」から考えたこと

今回のエントリは、まじめに書いてたはずだったんだけど、
最後がちょっとノロケが入ってしまっているので、
あらかじめお断りしておきます。
私は深刻な性暴力被害を受けたことはないので、
まじめに書いていてもかなりお気楽です。





元の、渡辺淳一翁のコラム「悲劇を失くするために」
週刊新潮12月3日号 コラム)
フランチェス子さんの11月28日付けの日記
http://d.hatena.ne.jp/Francesco3/20091128/1259427578
に紹介されている「概要」しかまだ読んでいない。

「全文」を読まないで感想を書くのも失礼かな、とは思うものの
紹介されている「概要」に書かれていた
「男とはこういう性」
「女とはこういう性」
という規定については、「しょーもないジイ様だなぁ」の一言になってしまう。


渡辺翁は私の父とほぼ同世代だし、
もとが整形外科のお医者、しかも大学の・・・「白い巨塔」の住人だったわけで、
そういう人がイメージする、ステロタイプジェンダーについては、
「おじい様だから、もう仕方ないよね・・」と、
あっさり切り捨ててしまうところが、私にはある。


ただ、それでも、
「たとえば単調なこと(編み物、機織りとか)を飽きずにやり続ける持続力」
女の方があり、男は
「イラッときてすぐに放り投げ、ときにはカッとなって機械をぶちこわす」
とくると、
う〜〜ん・・・編み物にイラッとくる私は一応女で、
オリジナルセーターを編む作家の橋本治は男なんだよな、と思い、
「泣き止むまでそばにいて子を宥めすかせるのは母親だけ」
と言われると、
「いや、放り出したら死ぬから!
先生だって手術の最中には患者を放り出せないでしょう」
と返答したくなってくる。

さらに、
「男は忍耐力がなく、カッとなるとなにをしでかすかわからない。
一瞬で獣になる生きものだ。」
とくると、
これ男の人が読んで共感できるのかしら???
ある程度の年の人だと納得するんだろうか、
でも、腹を立てる人もいるだろうなぁ・・と、思い、
思いいわゆる草食系男子だったらどうなんだろう、なんて考えたりしていた。

殺害されたリンゼイさんについて、
「申し訳ないけれども」と断り書きをつけながら、
「彼女がもうすこし曖昧に、いくらかやさしく接していれば、
 悲劇はおきなかったかもしれない。」
とくると、
「いやそりゃ無理というものでしょ!」とムカついてくる。
と言うより、
その程度の対応でなんとかなる衝動だったと
なんで言えちゃうんだろう。



「曖昧に、いくらかやさしく接して」いたら、
「だったら僕の気持ちわかって受け入れてくれ」と
エスカレートすることだってある。
「わかっているだろ!」って押し倒されることだってあるからね。
それを受け入れたくなかったら、
やっぱり抵抗するしかないでしょ。
身の危険を感じて、性行為を我慢して受け入れたところで、
思ったような反応が返ってこないと反応されて、
もっと怒りを買ってしまう場合だってあるかもしれない。



おジイ様の願望が交じった仮定を言っているだけだと思う。
いやもうしょうがないことではあるんだ。
昔、『気くばりのすすめ』(鈴木健二著)なんて大ベストセラーがあったけど、
やっぱり女は男を甘えさせてやって、でもって甘えて擦り寄って
手玉に取るべしくらいのことを書いていたからね。
鈴木健二翁は渡辺淳一翁より4歳ほど年上だけど、
男女のジェンダーや関係性についての考え方はほぼ同じような気がする。



「ともかく親は安全のため、こうした男の狂気やこわさを
 若い娘に教えておく必要がある。」

いや、言われなくても、自分の身の安全を守ることについては、
自分でも気をつけてきたし、娘にだって教えているよ。
ただ、それは、「男が獣」だからでも、
ましてや「狂気」をはらむからじゃない。

いやもう、「狂気」なんて言葉をそう簡単に使ってもらっちゃ困るし!



生物学的な性差としての性衝動の違いがない、とは言わない。
やっぱり男性には、出すものを出したい衝動はあるだろうから、
年齢にもよるだろうけど、射精前後で切迫感は全然違うように見えるからね。
逆に女性には、セックスにはどうしても妊娠というリスクがある。
望まないセックスで望まない妊娠をしたくはないもの。
(いや、望んだセックスでも妊娠したくない時だって多いけどさ)
生物学的な性差は確かにある。



でも、それだけじゃない。
「男は獣」と抑制がきかなくなることを容認してしまう文化があったから。



大抵の男性は「抑制するべき」と、自分で判断した時は抑制しているわけで、
そうして社会は維持されてきたでしょ。



でも、その「抑制」の解除を決めるのは、
男性の側にあるのが当たり前と、
男性も女性も刷り込まれてきた経緯があるから。
抑制の解除の条件としては、
一応女性の同意だと認識している男性がほとんどだろうとは思うけれど、
「同意」の認識がズレる場合だってあるしね。
それはたとえ親密な間柄であっても。


渡辺翁が書いているように、
「余韻を残して」「曖昧に」断ることは受け入れやすいかもしれない、
というのは、
そこまで下駄を履かせてもらって、
甘えさせてもらって当たり前、
という感覚を伝えられ、覚えてきた男性がいる可能性があるから。
これはね、相当根深いと思う。
意識化してないことが多いだろうし。


嫌なものを嫌、とストレートに断った時に、
それを「不当な扱いを受けた」と
傷ついてしまうかもしれない男性がいる可能性があるから。
傷ついて逆ギレされても困るから。
このあたりのことは、渡辺翁も「怒り」という言葉で表現しているけど、
そういう「怒り」って、男女の生物学的な性差からきているとは思えない。
もちろん、身体の大きさや力の強さの差は大抵あるから、
(いや、もちろん個人差は大きいけどね)
男性の攻撃性が発動しちゃったら「怖い」というのは確かにある。
でも、傷ついたことからくる「怒り」の感情には男女差はないんじゃないかな。
「傷つく」きっかけや我慢の閾値は個人差が大きいだろうし。




戦後から昭和元禄に、昭和から平成に、時代が変わって
若者の自尊感情も、異性とのコミュニケーションの持ち方も
変わりつつはあると思うけれど、
性行動において、
男性は能動的であるべきで、
女性は受動的であるべきだ、
という考え方は未だに健在みたいだしね。




だから、フェミニズムは目の敵にされるし、
リプロダクティブ・ヘルス・ライツは、
相変わらずカタカナのまま、
自然な日本語の言葉にこなれてこない。



あ〜〜〜
めんどうくさい!
というのが、
オバサンになった今の実感なんだけどね。





あ、念のため書いておくけど、
赤字のところは、フランチェス子さんの考え方じゃなくて、
渡辺淳一翁のコラムの「概要」部分なんですよ。
ステレオタイプの男女像も、
「男は獣」渡辺淳一翁の考え方です。


でもって、隣のデスクでブログを書いていた連れ合いに見てもらったら、
案の定、血圧が上がる勢いで怒ってました。
まず、「男は忍耐力がない」の記述で大ブーイング・・・・・
「そりゃ、あんたやあんたの周りはそうかもしれないが、
伝統工芸を伝えてきた男の職人の忍耐力をないがしろにするな!」
ときました。
そうか、そういう領域もあったよな、とちょっと新鮮な思い。
織物関係の人間国宝の職人さん、男性だったりするよね。
でもって、職人の世界だって、マッチョなとこあるよね。
親しい友人にもマッチョで繊細な手描き友禅の職人がいるんだった・・・


で、肝心な「男は獣」の部分については、

「だから、渡辺淳一みたいにそう思っている人はそうなんでしょ。
 でも、男一般で語らないで欲しい。
 あんたがそうなだけで、オレを一緒にするなとは思うよね。
 衝動はあっても、理性でコントロールするでしょ。
 例えば、一夫一婦制だって、
 他人の妻に手をださないという抑制が
 普通は抑制が効いているから成り立っているわけでさ・・・
 コントロールが効かないのを『男の性』とかで
 正当化するのはずるいと思う。
 自分の行動の責任は自分でとるべきでしょう。」


とのことでした。


「男の忍耐力」のところより若干トーンダウンしてたのは、
ちょっとは後ろめたさもあるかしら。
彼は、50歳代の、過去にはモテた系の思想的にはマッチョな草食系男子です。
(追記:特にイケメンではない。体格はマッチョとはいえない)



本当は、もうちょっと別な視点で書きたいことがあるのだけど、
長くなりすぎたうえに、書きたいことが微妙な話なので
そのうちに別エントリにあげたいと思います。